田中角栄を読む
田中角栄の書籍を読み始めた。「異形の将軍」という、いかにも素晴らしいタイトルの本だ。歴史小説家として名高い津本陽氏が、これまでの角栄本を引用しながら書いた、いわゆるまとめスタイルの本だ。小説というよりは、ドキュメンタリーに近い。
今もなお続々と書籍が発売される田中角栄という人について、今年に入って興味を持った。今年で30歳になる私の記憶で最も印象に残っているのは小泉純一郎だが、彼とて手放しで称賛されていたわけではなかった。田中角栄はどうして圧倒的な人気を誇ったのか、そして彼はどのような人で、何を成し遂げ、なぜ失脚したのか。それが知りたくて、本を手に取った。
続きは読後に記そうと思う。ブログでレビューを書いても仕方がないので、私が考えたことにフォーカスしていくつもりだ。
僕は3年後、どんなファンに囲まれ、どんな価値を提供しているのだろうか?
ひらめきを残したいのでメモ。
レースクイーンがフリマで肩たたき券を売っていた。頭ポンポン券も売っていた。買いたい、と思った。同時に、僕が売っても売れないなと思った。
どうしてこうなるのかを考えた。結果、僕はその娘のファンだからということに落ち着いた。ここから仮説が生まれた。ファンがつけばビジネスが生まれる。ファンは喜んでお金を払う。価値を見出す。ならばビジネスをしたいなら、ファンがつくようなあなたになれば良い。
価値にもいろいろある。どんなファンが欲しいかによって、あなたのあるべき姿が決まる。
- 価格が低いことに価値を見出すファンが欲しいなら、あなたは物やサービスを徹底的に低価格で提供すべきだ。
- 本物志向のファンが欲しいなら、あなたはいくら金をかけてでも本物を追求し提供すべきだ。
- たくさんのファンが欲しいなら、あなたはたくさんの人がアクセスできる場所やインターネット上でビジネスを行うべきだ。
ビジネスは、何が売れるかとか、何が金になるとか、そういうことからスタートすべきではない。もちろん、何がしたいかからスタートすべきでもない。どんなファンに囲まれ、どんな価値を提供しているのがあなたらしいのか、それを考えることから始まるような気がする。
さて、あなたは3年後、どんなファンに囲まれ、どんな価値を提供しているのだろうか?
父が与えてくれた自信
お盆。世間では帰省して家族と過ごすのが一般的らしい。
僕は30歳を目前にしながら、いまだに人生を迷い続け、何とか派遣勤めを続けている身。多くの同世代のように、結婚して子供も生まれ、勤続8年の会社では中堅となり、たまには実家で一息つくか、そんな気には到底なれない。
他の人と違う生き方をしていることは好きだが、かといって今の自分の状態が好きというわけではない。
最大の問題は、自分に自信を持てないまま生きていることだと思う。
どうして自分に自信が持てないのか、そんなことを地下鉄に乗りながらふと考えた。周りの人たちは、まさか僕がそんなことを考えているとは思うまい。
人のせいにするつもりはない。しかし、客観的に分析すると、どうも10代の頃の経験が強く影響しているように思えてならない。それは父の失業だ。
父は、戦後まもなく、新潟県に生まれた。布を染める、染色という技術を高校で学び、18歳のときに愛知県に来た。身寄りもない中、腕一本でひたすら勤め続けた。多くを買ったことはないが、酒や女に溺れた時期もあったと思う。それでも同じ会社で黙々と働き、40を超えてようやく結婚した。病気がちでバツイチの女、それが僕の母だ。
家庭を持った父はますます勤勉に働き、会社役員となった。2歳前後、歩くことを覚えた僕は、よく父の会社を見に行った。会社といっても小さな工場だったが、2歳の僕にはチャーリーのチョコレート工場だった。薄暗い鉄の階段を上ったところに、空まで届きそうな大きくて重い扉がある。それを父が開けてくれた。父は僕にとって、成功者だった。トヨタの役員とか、そういう感じのすごい人だと思っていた。僕も父のようになりたいと思った。
僕が中学生の時、父は怪我をした。布をプレスする機械に指までプレスし、引き抜いたら指の肉が持っていかれたのだ。肉を移植するため、しばらく腹に指を突っ込んだまま病院で暮らした。退院した父を見て、初めて弱々しさを感じた。そのわずか3年後、父が40年勤めた会社が倒産した。繊維業界の他の会社同様、中国に仕事をとられたためだと解釈したことを覚えている。
僕はといえば、中学時代はヒーローだった。文武両道で、好奇心の塊だった。憧れた父のように、技術者になろうと思っていた。学年で常に3位以内の成績を保ち、時習館高校よりもおもしろそうだからという理由で岡崎高校に進んだ。僕の中学から岡崎高校へ進学した生徒は久しぶりだった。ところが、その時点ですでに、僕の心の支えだったすごい父はいなくなっていた。
高校へ進んだ僕は、思い出すのも恥ずかしいくらい、落ちこぼれた。県下トップクラスの高校にあって、入学当時は上位25%に入っていたのに、2年目以降は下位75%だった。部活に精を出した風に見せていたが、部活は言い訳に過ぎなかった。もともと全国大会の常連だったから、自分が頑張っているわけでもないのにすごい成績を出し続けた。そこに安住していた。何より問題なのは、自分が目指すべきものが何もなかった。
そんな中で、父の会社が倒産した。ハローワークに通いながら、家にいることが多くなった父を見ていた。その時は気にしていなかったが、実はこれが大きな影響を与えたのだと思っている。憧れていた父が、怪我をし、一生を捧げた会社はつぶれた。何のために頑張るんだろうと思った。
大学進学にあたり、僕は理系から経済学部に進んだ。技術があっても社会のことを知らなければダメだと思った。確かに本気でそう思っていた。でも裏では、どうせがんばっても報われないから、楽に行けるところを選んだ。
そこから先のことはまた別の機会に書こう。とにかくこうして僕は、世の中はがんばっても報われないものだと思うようになった。夢と希望を失った20歳は、酒と煙草と女に快楽を見出し、繰り返し借金を作った。親がそのたびに、勤勉に作り上げた貯金を取り崩した。それでも僕は繰り返し借金を作った。そうして20代が過ぎていった。
いまだに僕には確固たる夢や希望はない。けれど、今までと違うことがある。ありのままの自分の弱さを認識できるようになった。社会の中での立ち位置をわきまえるようになった。そして、少しでも自分のできることをやっていこうと思えるようになった。
もう父は自信を与えてくれない。自分に自信を与えられるのは、自分しかいない。
憧れのおうち
あああ
こんな家に住みたい。
一つひとつ、確実に。始まりはすべて小さい。
友人割引をやめよう!
幸せなことに、僕のまわりには自分で事業を営む友人が数多くいる。ビストロ、ケーキ屋さん、カフェ、ドーナツ屋さんなど飲食業が最も多く、ファッションデザイナーもいれば、アーティスティックなイベント屋さんもいる。
僕も本業の傍らではあるが、個人事業としてウェブサイト制作を営んでおり、おかげさまで少しずつ仕事を頂けるようになってきている。
ここ最近、だんだん違和感を感じるようになってきた言葉がある。それは、自分で事業を営んだことのない人たちが良く口にする「安くやってくれる?」という言葉だ。
気持ちは分からないでもない。熟考のうえの言葉でないことも分かる。しかし、それはないでしょ。
事業では、価値を提供し、その価値に見合う価格を代わりに受け取る。安くやってくれという言葉は、裏を返せば「あなたの事業にはそれほどの価値はない」と言っているのと同じだ。
こういう言葉を真に受けてやっていると、来てくれる友達が増えれば増えるほど、利益率は下がる。商売繁盛のためには、安くしろというなら頼むから来ないでということになる。これ、小学生でも分かるよね?
でもね、人情ってもんもあります。理想的なのは、安くするから、ご贔屓にしてね、っていう関係。一昔前のコーヒーチケット的な感覚ですね。たくさん来てくれることへの感謝を割引で表すということ。
でも、さらにでもなんだけど、今の時代、安くするだけがサービスじゃないと思うんです。たくさん来てくれることの感謝を、プラスアルファのサービスとしてお返ししまっせっていうのの方がいいなぁ。
せっかく働いて得たお金。僕だったら友達のためにたくさん使いたいです。たくさん使って、ものすごく感謝されて、そのお店が発展して、さらにハッピーな人が増える。そんな循環が生まれることが一番いい形なんじゃないかなと思う。
みんないい年なんだからそういうとこケチるのやめようよ。